「人形山」(1726m)に登る
平成16年7月23日(金) 晴れ、時々曇り




「人形山」は、白山を開いた泰澄大師が開山した山伏の修行の聖山であり、親孝行の二人の娘さんの悲話がこの名前の由来になっている山である。 白山を間近に、槍ヶ岳、立山、剱岳、御岳、乗鞍、北アルプスの素晴らしい展望、山頂からは、正面に大笠山から笈ヶ岳を見ることができる。草花にも恵まれ、春にはカタクリ、ザゼンソウ、初夏には、イワカガミ、イワハゼ、ツバメオモト、マイズルソウなどの多くの花も楽しむことができる。 今も村人から信仰の山として尊ばれ、自然豊かなこの山を、同僚の田原さんと無人の山小屋「中根山荘」で一泊して、朝早く登山する事にした。

22日(木)18時30分高岡を出発。五箇山の下梨から人形山登山口の道標に従って車を走らせ、中根山荘(標高750m)に20時30分到着(R156から約7km)。 途中で、山荘の持ち主の山崎富美雄氏に逢い、山荘の使用法について教わる。彼は、私たちの到着を小屋で待っていてくれたらしい。 山荘には、発電機があり二人分の布団まで用意してあった。心遣いに感謝しながらも、発電機と布団は使用せずに、暗闇の中で寝袋にくるまって今宵は過ごす事にした。 明日の準備も終え外へ出ると、夜露に濡れた草むらからは虫の声や得体の知れない不気味な低い鳴き声が至る所から聞こえてくる。 右手前方からなにか獣の動く気配・・・。 しばらく暗闇の中で、山の生き物と呼吸を合わせ山の一夜を楽しんだ。

23日、4時に目覚め夜明の鳥の声を聞きに外へ出る。辺りは暗闇にもかかわらず、不如帰の声が 「トッキョキョカキョク|トッキョ」と耳に飛び込んできた。 空が白むにつれて、ヒヨドリ・ヒガラ・ツツドリ・カッコウなどが、美しき天然の音楽を奏でる。朝露の草の足元からは虫の音色。一晩中鳴いていたあの不気味な低い声はいつの間にか聞こえない。 昼と夜の生き物の活動の交代を膚で感じ、朝食を終え登山口に向かう。 工事中の林道を20分ほど歩くと登山口に到着(工事終了後は車で登山口まで可能)。 登山口にはホースでひかれた水場があったが、前日来の大雨で水路が遮断されたのか、コックをひねっても水は出なかった。

6時30分登山開始。 頂上まで6km。ぶな・植林された杉・自然林の中を朝露を含んだ草を踏みしめ、ゆっくり登る。整備された登山道を、朝の澄んだ空気を胸一杯吸い込み、山のエネルギーを体全体で受け止め歩を確かめてゆっくり登る。 快い鳥のさえずりを耳にして、一本調子の登り道を、休憩をすることもなく、四等三角点のある標高1218mの第一休憩所に7時25分に到着。 ここからはブナ林の急登な山道になる。木々の間から太陽の光が所々を白くまだら模様を作って光っている。私はこの光を白い花模様と錯覚してしまった。 ここ、あそこと飛び交う白い光の花模様や変化にとむクロジのさえずりに力を与えられて、1360mの第二休憩所に8時20分に到着。人形山まで3kmの表示があり、丁度中間点である。ゆっくりと休憩を取る。
アップ・ダウンを繰り返しながら宮屋敷遺跡(1590m)に9時10分に到着。この先を少し下って、大きく右に曲り稜線を歩く。遥か彼方に北アルプスが望めるらしい。説明を聞きながら歩を進める。 太陽は輝きを増し、稜線を吹き抜ける風もない。かなり暑くなりそうである。 奇妙なダケカンバの巨木を、田原さんは撮影。ピークを登ると美しい「三ヶ辻山」が姿を表しているとのこと。 三ヶ辻山の分岐点の県境尾根まではかなりの勾配で、汗が額から滴り落ちてくる。 急坂を登りきると白山から笈ヶ岳、右に大笠山が遠望出来、右手に人形山が私たちを待ち構えていた。 左に40分で「三ヶ辻山」へ、行くことが出来る。
後方から人の声が近づいて来る。飛び交う白や黄色の蝶・蜻蛉の様子を聞きながら、休憩していると老夫婦が話しかけてきた。 去年、雨で登頂できず、今年再挑戦だそうだ。元気な夫婦に山頂で逢いましょうと先に足を運ぶ。 右に続く緩やかな尾根を歩く。頂上まで500mの標識を過ぎたころはさすがに疲れが出てきた。全く風もない。通常ならば、快い尾根歩きにいなるのだが・・・。 噴出する汗をタオルで拭いながら、あざみや笹をかき分け小さなピークを越して山頂「1726m」に11時に到着。
しばらくすると、元気な夫婦も到着。私たちと元気な夫婦は、山頂より10m先の開けた展望の良い所で昼食をとることにした。正面には、大笠山から笈ヶ岳が見えているらしい。 男性は71歳、二人とも山育ち。男性は去年「白山」を日帰りしたとのこと。これを聞いて脱帽。 奥さんは、自分のザックから旦那さんのおにぎりや果物を出している。さすがに富山の女性は強い。これにも脱帽。 話に花が咲き、お互い頂上で写真を撮り合って、何処かの山で再度逢う事を約束して別れる。この元気な夫婦は先に下山。あっという間に姿が見えなくなってしまった。 豪快で優しい夫婦との出会いをさせてもらった。満足である。 私たちも12時10分に下山開始。分岐点で「人形山」に別れを告げ、宮屋敷遺跡に着いた頃は、夏の太陽が私を直撃し、かなりの疲労を感じる。田原さんに、励まされ、何度も休憩を取りながら15時30分に登山口に到着。
中根山荘には、山仲間の山田さんが私たちを待っていた。彼は最近、山崎さん「中根山荘の持ち主」と、手作りの山小屋「山美館」を建てている。内装工事中であった。 山崎さんにお礼を言い、二人に別れを告げ、途中でくろば温泉に入り、一路高岡へ。

高岡着18時30分。 山を愛して止まない、山崎さんや山田さん。生涯忘れられない元気な夫婦との出会い、素晴らしい思い出の登山になった。パートナーの田原さんに感謝しながら床につく。  合掌



人形山の雪形伝説。「炉扇 作」

これはなぁーー、昔、昔のはなしぎゃが、よー、聞きっしゃい。
湯川谷の田向ちゅう村に、母と娘二人が住んどったんぎゃが、母様が病気になってしもうて、日毎に悪うなっていき、しまいには、歩く事もできんようになって、寝てばかりおったそうじゃ。 この娘たちは困ってしもうて白山権現様に母様の病気をなんとか治して暮れやと、そりゃぁ、身を捧げる思いで毎日毎日、祈とったそうじゃ。
ある夜、夢枕に白山権現様が現れて、谷の湯に母さまを入れよとお告げがあったそうじゃ。 娘たっちゃ喜んで谷を探すと、湯がこんこんと湧いている所をがあったそうな。 毎日、その湯に母様を入れて、半年も経たない秋には母様は歩けるようになったんやて。 親孝行の娘たちやから、白山権現様も助けてくれたんや。
秋の天気の良い日に、この娘たっちゃ、どうしてもお礼を言いたいと、山の社に行ったそうな。 それがの、どうしたわけか、急に荒れ模様になってしもうて吹雪じゃ。 雪になると、もう、誰も山には近づけん。母様は、心配で心配で毎日毎日仏様に祈ってたそうな。
春になって、雪解けの天気の良い日、村人達が山を仰ぎ見ると、娘二人が手をつないでいる姿が山にくっきりと浮かんでいた。それからこの山を「人形山」と名づけたそうな。
昔は、山は女は登ってはならんやった。お前らも、行っては駄目な場所や、してはならんことをしたら、どんなに親孝行でも地獄に行かなきゃならんぞ。 母様の供養で、娘たちは地獄から助け出されて、今ではあのようにわしたちに、春になると姿を現して、種蒔きの日を教えてくれているんじゃ。ありがたいこっちゃ。皆、掌を合わせんしゃい。

奇妙な巨木の「ガケカンバ」
「オオカメヌキ」 「ウツボ」
左「三ヶ辻山」 右「人形山」
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