僧ヶ岳[1885m]から駒ヶ岳に登るその1


私が「駒ヶ岳」を知ったのは今年の1月である。今年は2002年で午年であることから、この2002mの越中駒ヶ岳に静かな注目が注がれている。駒ヶ岳は残雪期にしか登れず、この機会に夏道をボランティアによって開かれたことも知り、この山にだんだんと心が引かれていった。
しかし、全く登山の経験もなく、まして視覚障害者である私にとっては、駒ヶ岳の登頂は手の届かない夢であり、単なる憧れに過ぎなかった。
偶然、5月に近くの二上山(273m)に野鳥の声を聞く機会があり、そのとき視覚障害者と共に登山を楽しむ「三つ星山の会」を知った。もちろん、その場でなんの躊躇もなく会員になった。
5月25日には、箱根inふれあい「全国大会」に参加した。芦ノ湖から金時山に初登山して、完全に山の虜になってしまった。
今回は「三ツ星山の会」が主催で、僧か岳から駒ヶ岳に登頂する中部大会が開催される計画がなされ、た。一月に抱いた夢と憧れが現実になる、私の胸は高まり、久しぶりに興奮した。
計画では12時をタイムリミットとして、その後は下山するという、時間的が制限がある。
先ず、僧ヶ岳山頂を踏み、時間的な余裕があれば駒ヶ岳山頂を目指す。どこまで登れるか解からないがとにかく、挑戦だ。

12日14時に山田さんと高岡で待ち合わせる。車の中で野鳥の会から借りたという鳥の声のテープを聞きながら宇奈月の明日「あけび」温泉のキャンプ場のキャビンに向かう。やはり、野鳥の声は良い。かなりの多くの野鳥の声が収録されている。「シジュウガラ」・「ヤマガラ・コガラ・ヒガラの声を聞き分けるのは難しい。一匹の声ならまだしも4匹の種類が同時にに鳴いているのを聞き分けるのは神業としか思われない。。来春は野鳥の声を聞きに少し遠出をしたいものだ。
16時にキャビンに到着。ザックをキャビンに置き、下の温泉に入る。入浴後宇奈月地ビール館で夕食を済ませ、キャビンに戻り  東京 六つ星山の会、大阪 かざぐるま、山ネット、 京都 山の子会、新潟 あいゆう山の、会  金沢 山ぼうしの会の人たちと自己紹介を兼ねて話し合う。明日はサポーターを含めて総勢80人ほどのとざんである。
私の横には、日本縦断と横断を走りぬかれた宮本さんが座っておられる。初対面であるが宮本さんの超人的なうわさはよく聞いている。温厚な人で、話をしているうちに私の体全体が包み込まれていくような、なんともいえな温かみと安堵を感じた。57歳から走り始初マラソンは盲導犬と共に3kmの距離であったそうだ。それが日本縦断「3700km」を70日余りで走りぬき、ついで日本横断を成し遂げてしまった。言葉数は少ないが、生きる事の自身と謙虚さとエネルギーが彼の全身から静かに誰もが乱すことの出来ない浮動のものとして溢れ出している。なんともいえない心境になってしまった。素晴らしい人との出会いである。話足りない気はしたが明日の登山ために早々に就寝することにした。
寝床についたが、どうしたのであろうか。なかなか眠れない。最近は晩酌した後は10時を待たずに、熟睡する。僧ヶ岳の資料が頭から離れずいろいろ思い巡らす。残雪期の雪の形が笠をつけた僧の姿に見えたり尺八を吹いて駒を引いている形から名が付いたと書いてあった。その映像が心から離れない。また、北アルプスで2000mの山では最も日本海に近い山であるから、厳冬の僧ヶ岳の厳しさは格別であろう。地質もモレン現象で氷河期の氷の移動と共に石が動て出来た山だから崩れやすい。崩壊と修理の繰り返しである。
同僚が夏に1043mの登山口から、僧ヶ岳に登り、帰り雨で道が崩れ、結局車を置いて下山した事などが、次から次と思い浮かぶ。眠れないままに時間を過ごした。
僅かな睡眠で4時に起床して、準備を始める。
5時に車に乗り烏帽子ルート「1280m」に向かう。平和の像が見えてきたときに空が白んでくる。この像は晴眼の時に何度か見ている。姿を思い出す。 6時に烏帽子口に到着。「ナナカマド」の実が真っ赤に色づいている。素晴らしい天候だ。空の青と鮮やかな赤色が映えている。少し、予定より遅れたが6時30分僧ヶ岳に向かって出発だ。



その2に続く。