僧ヶ岳から駒ヶ岳登山記 その3


「人生、一寸先は闇だ」とよく言われるが、本当に日常生活の中でいつもそのことを考えて生活しているだろうか。
「一寸先は闇」を全身で味わう事になったのは、通常の3分の2の長さの杖を突きながら前僧ヶ岳のルートを終え、烏帽子登山口への分岐点に向かう途中であった。
それは、本当に一瞬の出来事であった。右足を踏み外し、杖は空を切り滑落。背中のザックが滑りを良くして仰向けのままかなり落ちていく。スピードが増し、自分ではどうしても止めることが出来ない。滑り台を滑る感じである。途中で体が一回転。死への恐怖が頭をよぎる。目は開けることも出来ず閉じたままで何も出来ない。滑りに任せるしかない。僅か何秒の間であったとは思うが、心の中でいろいろ思いが走ったのでかなりの時間を経過したように思われた。運良く枯葉が吹き溜まる場所で体が停止した。よく見えない目をそっと開ける。足に力を入れて動かし腕を上げてみる。かなり丈夫な枝が頭上にあった。それにつかまり、体を少し浮かしてみる。どこにも幸いに、痛みがない。額に掠り傷がみられる程度である。上のほうから山田さんの必死の声が聞こえてくる。じっとして山田さんを待った。彼は迂回して私の下方から声を掛けてくる。指示に従いながら手を伸ばし枝にしがみつきながら上に上る。足元を固定する事は出来ない。何度も腕力だけで這い上がる。山田さんも片手を枝にしがみつきながらも私の体を片手で下から押し上げてくれている。後もう少しのところでしがみつく次の枝が見つからない。すぐそこが山道なのに。このまま宙吊りになって力が尽きてまた滑落、嫌なことばかりが頭に浮かぶ。そのとき、自らの危険も省みず上から木を足で踏んで木を私の手の届く所まで下へ下げてくれる人がいた。それにつかまりやっとのおもいで這い上がる事が出来た。自らの危険を省みず崖に生えている木を足で下へ踏みおろしてくれたのは若い娘さんであった。「私は山育ちなので、これくらいは何でもないですよと私の無事な姿を見て名も告げず笑顔で去っていかれた。あの笑顔は生涯忘れる事はないだろう。私は山田さんと抱き合って無事を喜んだ。
しばらく二人とも放心状態で山道の脇に腰をおろして休む。通りすがりの人に額の傷を消毒してもらいまた歩き始めた。屈伸しても体をひねってもどこにも痛みがない。本当に奇跡である。
途中から後続の僧ヶ岳山頂を目指したグループの人たちと共に歩く。私は先頭を歩く事になった。先頭の方が歩きやすい。先頭を歩いているから、グループから遅れるという精神的な圧迫感がないだけでもかなりゆとりをもって歩く事ができる。
歩くにつれてだんだん心の平静を取り戻す事が出来るようになった。本当に素晴らしい天候である。歩調も軽やかに心身ともに自然の中に溶け込みただただ雑念もなく歩く。山歩きのいいところは、日常の煩わしさや生じさえも振り捨てて歩ける所にあるのではないだろうか。
15時烏帽子登山口に無事到着。予定よりもかなり早い。後は「明日温泉」で夕食会を楽しむだけである。ゆっくり温泉に入り駒ヶ岳まで登山している同室の塘添さんを待った。予定時間より遅くはあったが塘添さんも無事到着。かなりの疲労で声もかすれているが駒ヶ岳の登頂の興奮で声が弾んでいる。
山を愛する人たちとの飲食は実に楽しい。初対面の人でも何のこだわりもなく、旧友に再開したように話が弾む。良い友・美味い酒・愛する山の話題。この世の憂さも忘れて深夜まで酒宴が続いた。
翌朝、皆さんと再会を約束して別れを告げ、高岡へと山田さんの車に乗った 高岡で、山田さんと硬く手を握り再度駒ヶ岳を共に登山することを誓って別れた。
本当にいろいろなことを考えさせられる登山であった。無事下山できたことは何にもまして嬉しいことである。
今回の登山は一生忘れられないものになるだろう。


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