「天蓋山」(1527m)に登る 平成15年10月12日 曇り




9月28日に西穂山荘から丸山に登り上高地に下山した時はまだ紅葉は線状態であった。これが帯び状態になり山全体が紅葉するのも間近であるはずだ。あれから2週間、最近は朝晩もかなり冷え込んでいる。もう山は完全に紅葉しているだろう、そんな空想を頭に浮かべるともう居ても立ってもいられなくなってしまう。また、悪い空想癖が私を駆り立てた。 そんな時に個人山行で岐阜県の「天蓋山」の登山の誘いがあった。 この山はぜひ登山したく、以前から心寄せに待っていた山である。
今から40年近くも前になるだろうか。中川与一「天の夕顔」を若かりし日に読み感動したことがある。この小説にこの「天蓋山」の山之村が舞台となっている。機会があれば登山したいと心に秘めていた。この小説は実在の人からの聞き取りによって書かれたという。主人公が純愛を貫くために孤独感と寂寥感を全身で受け止めこの山之村の辺境の地で薪を蓄え、単独で2冬この地で過ごし、薬師岳に登る場面がある。下山した後愛する人が、逢う約束の前日に死別。若いときに夕顔を摘んだ姿を想像して花火を大空に向かって打ち上げる、夕顔の花火を生涯をかけて愛した人が摘む姿を胸に抱き小説は終わっていた。
「天の夕顔」の文学碑、「天の夕顔の主人公かつて此の地に庵を結んで幻住す」という自然石の碑もあるそうだ。頂上からの展望も良く飛騨山脈笠ヶ岳から、黒部五郎岳、北之俣岳、薬師岳を真近に見る景観は絶景で剣岳・穂高岳、乗鞍岳・御岳・白山、北西には金剛堂山、白木峰と360度の眺望を楽しめるらしい。
胸を膨らませて高岡駅始発6時21分の列車で富山駅へと向かう。生憎、天候は秋晴れとはいかないが雨の心配はないようだ。視覚障害者3人(2週間前共に西穂から上高地へ下山した山の仲間)、晴眼者6人の9人での登山だ。車2台で神岡に入り登山口に着く。水のみ場・トイレ有り。仏像の頭上にかざす衣笠に形が似ているから名が付いたという「天蓋山」に9時10分に足を踏み入れる。
しばらく白樺の広葉樹林のなだらかな道を誘導ロープを頼りに歩む。光の角度と周りの風景の配色との関係であろうか。足元さえ見えない視力であるが、時には、白樺の白さが目に飛び込んではっとする。見えないかと思えばばしょと光の関係でくっきりと細い白樺を確認できるし、どんなに目を凝らしても大きな木さえ見えない。全く私の眼は不思議である。この視力も何時まで残存できるか分からないが大切にしたいものである。ただ治療方法がないのが残念だ。
左手の尾根を越えしばらく行くと急な坂道が30分ほど続く。この急登を終え、少し下って登ると見晴らしの良い草地に出る。ここからは笠ヶ岳・槍ヶ岳が見えるとの事だが、今日は生憎の曇り空で見えないらしい。しばらく黄色と赤色に紅葉している周辺の景色を説明してもらい、僅かに見ることができる紅葉を楽しみながら休憩を取った。
歩を進めるとやがて、雀平という黄楊の多い平らな所に出た。頂上まで30分という標識が立っていることを聞き、最後の歩みに集中した。樹木もブナに代り、緩急入り混じった登りが続く。途中開けた場所を通過して一旦下り、登ると急に視界が開ける。天蓋山の頂上だ。
11時10分山頂に全員登頂。
頂上は広くいくつかのパーティが食事をとっている。残念であるが今日は曇天で周りの風景は見えないらしい。360度妨げるものがないので風もかなり強い。私たちは、少し休憩を取り、先ほどの開けたブナの木があ る場所に下り、昼食をとることにした。
この開けた場所からは晴天であれば御嶽山が見えるらしい。気の合った皆さんと紅葉の中での食事はさすがに美味い。話も弾む。いつも快活で山を我が家の庭のように熟知している屈強なKさんは、皆さんのため にコーヒーを入れている。小柄でスマートな体のどこにあののぼりの力が秘められているのか髪のながいNさんは、蝶が岳から4泊で縦走した話を関西弁で楽しく話している。最近この会に参加するようになった若いWさんは山の虜になりそうだとにこやかに話している。私たち視覚障害者は先日の西穂から上高地の下やまの話で弾んでいる。M君もAちゃんも体もがっしりして背丈が伸びたくましく成っている。明るい笑い声が紅葉の風景に溶け込み秋空に流れ吸い込まれていく。これが極楽浄土・天国なのであろう。そんな思いをふと抱いた。
隊長のHさんは湯を沸かし抹茶茶碗を取り出した。ここで野点の茶会をするとの事。私は全くお茶の作法を知らない。野点とは気に入った場所で気取らず茶を楽しむのが本質だから難しいことを考えずお茶を楽しめば良いとの事である。また茶の湯には口切の茶というのがあって春摘み取ったお茶をつぼに入れ11月の炉の季節に封を切って新茶として味わう。これが口切の茶だそうだ。隊長は封を切って茶をたて始めた。野外で呑む一服の茶がこんなにも心を清浄にして落ち着かせるものなのか。汗を かき湧き出る山の冷たい水も良いが、野点の茶の味もまた格別である。 心身ともに充足感に包まれ下山の足取りも軽い。丸山から上高地に下山した経験がある3人だけに、下りもかなり速いペースである。
13時20分、全員無事下山。
いつもは下りに時間を要する私たち視覚障害者だが登り、下りともに本に書かれている標準時間内の登山であった。
時間に余裕があるので山之村により文学碑を見に行くことにした。嘗ての隊長の記憶をたどり山之村を歩いたが結局は見つけることは出来なかったのが少し残念だが、代りに秋風に漂うオヤマリンドウの群生を発見して、しばし花に話しかけ別れを告げて山之村を去った。
帰りは栃尾温泉「荒神の湯」の露天風呂を楽しんだ。ここは車道の近くで、仕切りはあるが天井はない。料金も利用者の気持ち次第である。駐車場はバイクや自家用車で満杯である。登山の後の温泉はこの世の憂さを忘れさせてくれる。温泉を楽しみ一路富山駅へ。
富山駅着、17時20分。

皆さんのお陰で素晴らしい登山をさせて頂きました。ただ掌を合わす。

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